大きくがっしりした白い毛に覆われている背中。
ゆっくりと、力強く歩く姿。
その強さに反するように、振り向いたときに見せるつぶらで優しそうな瞳。
僕は、その姿に虜になる。

そう、僕はゴリラに首ったけだ。
何がこんなに僕を惹きつけるのだろうかと考えたところ、次の理由が思い浮かんだ。
それは、力強そうなのに実は優しい性格であることである。
さらにゴリラはとても繊細な性格でもあるらしい。
環境の変化に敏感で、ストレスが原因で下痢してしまうなど、健康を害してしまうことがあるそうだ。
なんだか親近感を覚える。
というのも、僕も環境の変化に敏感だからだ。
入学するとき、学年が上がるとき、会社に就職するとき、転職した初日など、そんなときに緊張でお腹が痛くなったり、強烈な吐き気に襲われたりした。
とても繊細な生き物なのだ。
だからゴリラには、とても親近感がわいてしまう。
だが、彼らと違う点が一つだけある。
それは、ジャングルなどの自然の中で生活できる点だ。
僕は絶対にできない。
虫が嫌いだし、電気のない生活なんて想像すらできない。
ちょっと年代が上の現代っ子なのだ。
その割にソロキャンプに興味を持っているという、不思議な側面も持っているのはご愛嬌だろう。
ゴリラといえば、胸を叩く仕草(ドラミング)を思い浮かべる人が多いのではないだろうか?
僕自身も、ゴリラに惚れ込んでしまうまではそうだった。
敵に対して威嚇のために勇壮に胸を叩き相手に強さを誇示する。
そんなイメージだ。
ところが、実は争いを避けるために他の群れに自分の居場所を知らせるためのコミュニケーション手段として使用しているらしい。
さらに、僕のイメージを覆したのが手の形だ。
ドラミングの際、僕のイメージでは手を握り締め、グーの形で叩いているイメージだった。
実際は手を開き、パーの形で叩いている。
これは、より大きな音を出すことで、効率的なコミュニケーションを取ることを目的にしているという。
なんとも平和的な世界線ではないか。
人間もゴリラに近づいた方が良いのではないか、と思ってしまうほどだ。
そして、動画で見たのだが、ゴリラの子どもに対する興味の示し方が最高に可愛いのだ。
人間の赤ちゃんをジッと優しく見つめるゴリラがいたり、赤ちゃんをもっと見せろというように指差したり、自分の子どもを連れて来て見せてくれたりしていた。
僕自身、繊細な心を持っているからこそ、それを守ってくれるような圧倒的な強さと、その強さを決して誇示しない優しさに、どうしようもなく惹かれてしまうのかもしれない。
これはきっと、僕自身の理想の男性像なのだろう。
そう、いかつい体に優しい心、僕の憧れの存在に近いのがゴリラなのだ。
僕が京都にいて、彼女が愛知県名古屋市にいた頃、東山動植物園を訪れたことがある。
そこにはイケメンでイクメンなゴリラ、シャバーニがいた。
シャバーニはどっしりと座っている。
その背中からは、どんな言葉よりも雄弁に男らしさを物語っているようだった。
隣ではしゃぐ彼女の声も遠くに聞こえるほど、僕はその静かな威厳に圧倒されていたのだ。
僕は感動のあまり、ボーッと見るだけしかできなかった。
シャバーニの静かな佇まいは、まさに「争わない強さ」の象徴だった。
彼は胸を叩いて威嚇するまでもなく、ただそこにいるだけで、その場の空気を支配してしまうだろう。
僕が動画で学んだゴリラの平和的な知性が、目の前のシャバーニの姿と重なった瞬間だった。
どんな有名人に会うよりも、僕にとってはシャバー二との邂逅が一番の思い出だったりする。
その彼女が結婚したことを、SNSで偶然に見かけてしまった。
なぜだろう、涙がホロリと溢れてしまう。
ああ、シャバー二に慰めてもらいたい限りだ。