日曜日の映画館(映画レビュー)

声だけというシチュエーションが緊迫感を高める!ーー罪と許しを考えさせられる映画「THE GUILTY ギルティ」を考える

緊急通信指令室に属する警官、アスガー・ホルム。
彼は「ある事件」を機に、緊急通信指令室のオペレーターとしてクレーム対応をすることになる。
明日の「ある事件」に関する裁判を控えたアスガーは、いつもと変わらない些細な事件への対応をこなすはずだったのだが…。

緊急通信指令室という閉鎖された空間で巻き起こる女性拉致事件が繰り広げられる本作品。
秀逸な点は、展開がすべて緊急通報の音声のみで展開されていく点だ。

作品冒頭、薬物使用者や風俗街で強盗被害にあった人物からの対応を、卒なくこなしていたアスガーだったが1本の電話から話は急展開していく。
それは、夫に連れ去られたと訴えるイーベンからの通報だった。
観客には、切迫した女性の声と背後から微かに聞こえる車の音、そしてアスガーの声だけが聞こえてくる。

犯罪が進んでいく様子が、電話の音声だけで進んでいくため、観客は想像をめぐらせながら、アスガーとともに捜査をしているような感覚にとらわれる。
それに加え、時折アスガーが黙り込むシーンがさしはさまれることで、その緊張感が増していく。

緊急通信指令室の仕事を逸脱し、自らイーベン拉致事件の捜査を進めていこうとするアスガー。
次第に明るみになる衝撃の事件内容に、観客は確実に引き込まれていくことだろう。

しかし、本作は拉致事件を「音声のみ」という新しい表現方法で解決していくという、サスペンススリラーではない。
確かに、音声だけの演出は、観客の想像力を掻き立て、「次の電話では何が明かされるのだろう?」というハラハラ感が楽しめる。
が、この作品の素晴らしい点は、そこから180度異なる展開を迎えることだ。

「被害者はお前じゃない。(中略)お前は加害者だ。罪を受け入れろ」

このセリフは、アスガーがミケルに語りかけると同時に、彼自身が向き合わなければならない冒頭の「ある事件」の罪にも突き刺さる、二重構造になっている。
被害者は誰で、加害者は誰なのか。
最後の最後にこの言葉の本当の意味に気づいた時、観客は「罪」と「許し」について、より深く考えさせられることだろう。

そしてもう一点、この映画のテーマとして考えておくべきなのは「蛇」だ。
このシンボルを読み解く上で、本作の監督がスウェーデン出身のグスタフ・モーラーである点は見逃せない。

北欧神話において、蛇は「ヨルムンガンド」という存在で有名だ。
自らの尾を加えた姿で描かれ、混沌や破壊、世界の終末の象徴として知られている。
しかし、その一方で再生の意味を持つ象徴としても知られる。
果たして、本作品で語られている蛇は、破壊などの象徴なのか、それとも再生の象徴か。
是非とも鑑賞して確かめてほしい。

視聴後に、「罪」とは何か、「許し」とは何かを感じさせられる作品「THE GUILTY ギルティ」。
ただのサスペンススリラー映画として楽しむこともできるが、哲学的な問いを含んでいるようにも感じられる。
あなたは、本作品から何を感じただろうか。
ぜひ、教えてほしい。

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