エッセイ

美術館は好きだけど…

2025年8月1日

「おきみゅー」という言葉をご存じだろうか?
この文章を読んでいるあなたが、沖縄県民や沖縄在住の方なら、一瞬で答えを出してしまうだろう。
しかし、県外の方にとっては頭の中が「?」で満たされている様子が、僕の目の前に浮かんでくる。

この答えを先延ばしにすると、話が進まないので正解を書いておこう。
「おきみゅー」とはすなわち、沖縄県立博物館・美術館の愛称だ。
沖縄のミュージアム、つまり「Okinawa Museum」を略した名称ということになる。
とても親しみやすく、県民から愛される文化施設なのである。

突然、おきみゅーを話題にしたのは、ちょっとした用があって立ち寄ったからだ。
本当にちょっとしたことだから、内容については触れないが、その外観を見ていると思い出すことがあった。

そう、僕は博物館や美術館が好きだったのだ。
それなのに、である。
僕の足はいつしか、その場所から遠ざかるようになっていた。

記憶をたどってみると、大きな展覧会を最後に見に行ったのは京都国立博物館の「伊藤若冲展」だったはずだ。
そのときは、母親が京都に遊びにきており、そのお供で行った気がする。
若冲の描き出す、まるで今にも動き出しそうな鶏の姿に驚いたのを、はっきりと覚えている。

それはあくまでも、「母親の付き添い」としての義務(親孝行したいという気持ち)から出てきたものであり、自分自身が望んでというわけではない。
ならば、自分から望んで美術館へ行ったのはいつだっただろうか?

それは、2002年まで遡る。
京都近代美術館で開催された「カンディンスキー展」だ。
当時、ドイツ文学が大好きだった僕は、ドイツ文学の助教授がおすすめしていたカンディンスキーに興味を持った。
と同時に、抽象的な絵画が好きだったのも相まって一瞬で虜になり、その作品を是非とも見てみたいと思っていた。

その矢先、京都でカンディンスキー展が開催されることを同じ助教授の口から聞いた僕は、いても立ってもいられなくなり、足を運ぶことにしたのだ。
そのそばにいたのは当時の彼女。
彼女は美術に詳しかったのだが、カンディンスキーのことを話題にもしなかったので、知らないものだと勝手に思い込んでいた。

デートも兼ねた美術鑑賞。
当時はかっこつけたがりだった僕は、一夜漬けではあるものの、知識を詰め込んで当日に臨んでいた。
しかし、その日、僕の築き上げた知識の壁は一瞬にして崩れ去ってしまう。
彼女は、近代の抽象画についても見識があり、僕よりも深いところまでカンディンスキーを知っていたのだ。

当日、何を言っても彼女はより深い部分を掘り起こし、僕自身の浅さを少し嘲笑うかのような様子で絵を見て回ることになる。
たいていの場合、僕が絵の解説を読んでいると、遠く離れたところでニヤニヤとしながら腕を組んで見守っていた。
僕は、打ちひしがれたような気持ちになり、「美術館なんかに行くもんか!」という気持ちになったように思われる。

もう、20年以上も前の話だが、おきみゅーの外観を見ているとそんな思い出がよみがえってきた。
少しだけアンニュイな気持ちになり、用事を終えて帰ろうと横断歩道で信号が変わるのをまっていると、ハッと気がついた。

「そういえば、数年前に糸満市にある現代美術館『キャンプタルガニー アーティスティックファーム』に足を運んでいたじゃないか!」

なんだ、僕はとっくにトラウマを克服していたんじゃないか。
あの日の苦い思い出も、今となっては、若かった自分を微笑ましく振り返るための一つのスパイスになっているのかもしれない。
そんな小さな発見に、僕は足取り軽く横断歩道を渡っていた。

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