今や死語になったであろう言葉が、ふと頭をよぎった。
それは「男子厨房に入らず」だ。
意味を簡単に説明するとしたら、「男は台所に立って料理なんかするな」になるだろうか。
僕の親世代か、もう少し下の世代くらいまでは、このような考え方が広まっていたように思う。
それに、僕と同じかちょっとだけ上の世代にもまだまだ残っているように感じている。
それが時代だったのだと言えば、そのとおりだろう。
が、今の時代にこのような言葉を使おうものなら、男女差別だと責め立てられるに違いない。
それに、今の時代の男子諸君は台所に立ち、料理の腕を奮っているように僕個人は思っている。
その証拠に、YouTubeなどの動画サイトでは、料理する姿を撮影しレシピを公開する男性もいるほどの人気のコンテンツになっている。
だいたい、この言葉の意味を実は履き違えているから、このような男女差別的な言葉が生まれてしまったのだ。
「男子厨房に入らず」という言葉はもともと、「君子、庖厨を遠ざくる也」である。
これは中国の思想家・孟子の言葉だ。
もともとの意味は次のとおりである。
「君子は情け深く、憐れみの心を持っているため、生き物が悲鳴をあげ、殺されてしまうような厨房に入るのは忍び難いものである」
そう、つまり道徳を説く意味で用いられていたのだ。
それがなぜか、日本に入ってきた際に、「男子は厨房に立つものではない」という意味に誤解されてしまったのである。
なんとも情けない話ではないだろうか。

さて、かくいう僕は台所に入るのが大好きで仕方ない。
独自の感性で、さまざまな料理を創り出してきた。
このように大仰に書くと、「男子厨房に入らず」と同様に誤解を生むため、先に解説しておこう。
自分自身で食べるために自分の味覚にあった、美味しいか美味しくないかはわからない料理を創り出してきたのだ。
しかし、これはあまりにもひとりよがりだ。
このままだと、ただの傲慢な料理研究家気取りのおじさんになってしまう。
そうなると、モテなくなる!
と危機感を覚えた僕は、料理の基本を学び始めた。
独創的な料理は、確かに自分を表現できるだろう。
しかし、本当に誰かを「美味しい!」と笑顔にできるのは、揺るぎない基本があってこそ。
自分以外の誰かを感動させる料理を作りたくなった。
どこか料理店に修行に出たわけでも、アルバイトで厨房の仕事をしたわけでもない。
そう、料理1年生のための本を購入して料理を作り始めたのだ。
今までは、適当に作っていた料理も基本を押さえて作るのは楽しかった。
ケチャップ以外の味が感じられなかったオムライスは、バターの風味を加えることで複雑な味を感じるようになった。
顆粒だしで出汁をとった味噌汁は、本格的に昆布と鰹で出汁をとるようになってから旨みを強く感じるようになった。
そう、僕の料理の世界がパッとひらけたのだ。
子どもの頃から料理することは好きだった。
その料理を、親は美味しい美味しいと食べてくれた。
父も母も、ニコニコと笑っておかわりまでしてくれたのだ。
幼い僕は、それが嬉しくて仕方なかった。
それはそうだ。
子どもが一生懸命作ってくれた料理を、貶すような親がいるだろうか。
そんな親は、某漫画に出てくる芸術家兼美食家くらいなものだ。
だから料理好きの男子諸君、胸を張って厨房に立つのだ!
そして、まずは基本を極めよう!
独創的な料理で誰かを喜ばせるのもいい。
でも、基本を極めた君の一皿は、もっと多くの人を笑顔にできるはずだ。
男子が厨房に入って、悪いことなんて一つもないのだから。