エッセイ

白さに老いを感じる日々

老いを感じる瞬間は、人それぞれだ。
言葉が出にくくなった、記憶力が落ちた、目がかすむようになった、体力がなくなったなどが代表的な症例だろう。

僕自身も何かと老いを感じることがある。
今までは、午前2時3時頃までは起きていられる体力があった。
沖縄では飲みの文化があるので、それくらいの深い時間、下手をすれば早朝まで飲み明かすこともある。
それが最近はできない。
だいたい、午前0時を過ぎると眠たくなってくる。
布団に潜り込もうものなら、10時過ぎには寝落ちしてしまうことさえある。
若い頃とは違うなぁ、と実感してしまう。

さらに言えば、老眼も入っている。
少し前、流行性角結膜炎らしい症状が出てしまい、眼科専門病院を受診した。
その際に受けたさまざまな検査の結果を診察時に伝えられた。

「老眼が少し入ってますね。あと白内障の所見も認められます」

老眼は何となくわかっていた。
最近、近くだと小さい文字が読みづらくなっていたからだ。
しかし、白内障には驚きを隠せなかった。
いよいよ僕の目にも、白い煙幕を張り始める忍びがやって来たようだ。
データ的な裏付けは見つけられなかったが、紫外線が強い地域では白内障リスクは高まるらしい。
なるほど、そうであるならば沖縄では白内障リスクが高くなる可能性はあると考えられる。

だから、どうか覚えておいてほしい。
沖縄では「サングラス着用のこと」ということを。
だから、怯えないでほしい。
沖縄では、年配の方がいかついサングラスをかけていることを。

ちなみに、僕はこのいかついサングラス姿のしーじゃ(先輩の意味の方言)方に慣れるのに、2年はかかった。
かつては威圧的に感じたあのサングラス姿が、今では紫外線と戦う同志の証に見えてきた。
僕もいつか、あの“いかつい”一員になる日が来るのかもしれない。

そして、僕自身が一番老いを感じてしまったのが「白髪」である。
実のところ、僕自身は中学生くらいから頭髪に白髪があった。
だから、ここでいう白髪は頭髪にある白髪ではない。
そう、ズバリ言うと、鼻毛と髭の白髪である。

一応、年を重ねても身だしなみには気をつけたいと考えているので、鼻毛の手入れはこまめにしている。
鏡を見ながら鼻毛カッターを使って丁寧に切り、最後は飛び出していないかを鏡に顔を近づけて確認する。

それでも手入れができていなくて、鼻の穴がムズムズしてしまうことがある。
そんなときは、汚い話だが指でつまんで抜いてしまう。
指でつまんだ一本の毛。
それを何気なく光にかざした瞬間、僕は息をのんだ。
黒いはずのその毛は、白く光っている。
それは、僕の身体の深いところに送り込まれた、紛れもない「老い」という忍びだった。
「いよいよ来た、老いだ」
僕は愕然としながらつぶやく。
よく鼻毛に白髪が生えてきたら老化の始まりと聞いていた。
僕は、もうそれを受け入れざるを得ない年齢に達したのだなと、自分を納得させざるを得なかった。

そしてつい最近、髭にも白髪があることに気づいた。
いつものように、身だしなみを整えるために髭を剃っていたときのこと。
何やら顎の下あたりにきらりと光るものがある。
光を反射させるゴミでもついたかなと、鏡をのぞくと白髪。
これにも驚いてしまったが、見なかったことにして髭剃りでサッと剃り落としておいた。

40代前半、気持ちでは若いと思っていてもやはり老いが、忍びのように足音も立てずにやって来ている。
忍びであれば、イメージ的に黒を思い浮かべてしまうが、老いという名の忍びは黒くない。
奴らは白い装束でやって来る。
あなたも、一度鏡をのぞいて見てほしい。
ほら、あなたのそばにも…。

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