
「君は真のコーヒー好きとは言えないね」
ずり落ちてきたメガネを直しながら、大学時代の友人は少しバカにするような調子で僕に言い放った。
僕は、呆気に取られて彼を見つめる。
次に目の前に置かれたコーヒーに視線を落とす。
そこには、ミルクたっぷりのカフェオレが置かれている。
カップからは湯気が立ち、ミルクの少し甘い香りが鼻をくすぐってくる。
なるほど、彼の言い分もわかるような気がした。
先日書いたように、僕は苦いものが苦手だった。
子どもの頃は、それがピーマンだったり、ゴーヤーだったりしたわけだが、コーヒーに関しては少し微妙だ。
というのも、僕は小さい頃、コーヒー牛乳が大好きだったからだ。
牛乳でまろやかになった上に、砂糖による甘みによって苦味は完全に打ち消されている。
香りは残っていたのかどうかは、今になっては覚えていない。
が、どこかキャラメルのような感じで、美味しいと感じていたのかもしれない。
と、ここまで書いてきて思い出したことがある。
僕はコーヒー牛乳だけでなく、コーヒーガムも大好きだった。
ちなみに、今の僕はガムが苦手だ。
このコーヒーガム、年齢によっては知らない人もいるらしい。
僕が子どもの頃は、どこでも売られている大人気商品だったと覚えている。
親はあまりいい顔はしなかっただろうが、このガムが好きで好きで仕方なかった。
気になったので調べてみると、3度も復刻されているらしい。
やはり大人気商品だったようだ。
話がズレてしまったので、もとに戻すとしよう。
子どもの頃から僕は、コーヒー飲料に馴染みがあった。
しかし、先ほどの友人にとっては、それはコーヒーではなく「コーヒー飲料」だったのだ。
つまり、彼が思うコーヒー好きとは、「ブラックコーヒー」をこよなく愛し、香りや苦味、酸味のバランスを楽しむことだったのだろう。
ミルクを入れて飲むなんて言語道断だったのだ。
この場面は、僕にとってとても印象に残っている。
ブラックコーヒーを飲めなかった僕は、初めて誰かに面と向かって「コーヒー好き」ではないと言われたこと。
さらに、自分自身の考えと、相手の考えとがわずかにズレているだけで大きなすれ違いを生むということを知ったからだ。
人は誰でも、考え方の違いがある。
だからこそ、言葉に出して自分の考えを伝えることは重要なのだ。
僕は、その機会を大学時代に得たといえるだろう。
それが今現在、言葉で考えや思いを伝える仕事をしていることにつながっているのかもしれない。
真面目な話でこのエッセイを締めくくろうとしたのだが、最後に少しだけ補足。
僕はこの出来事以来、コーヒー好きと名乗れるように、ブラックコーヒーも飲めるようになった。
でも、大好きなのはやっぱりカフェオレなのだ。
コーヒーだけの苦味がもたらす刺激よりも、ミルクが混じったことによる味のまろやかさ。
それに、どこかホッとしてしまう僕がいる。
結局僕は、大学の友人からは「コーヒー好き」とは認められないままなのかもしれない。